訪問マッサージで広がる世界

訪問マッサージで広がる世界

全国視覚障害者文芸大会入選 2013年7月

皆さんこんにちは

整体院Happy・Birdの院長高野です!

本日は、私が、第39回全国視覚障害者文芸大会で入選した随想をブログとして投稿をします。
普段よりは、長文になりますが、読んでみてくださいね!

「訪問マッサージで広がる世界」

私は、今から12年前に目に光を失い現在では完全に失明してしまっている。

知人からの紹介もあり、29歳になる年の4月に支援学校に入学し按摩、マッサージ、指圧の資格を取得する事になった。

そして今は、訪問マッサージという職に就き働いているが、この仕事とは足腰が不自由で、自らの力で動くのが困難な方々に約20分間のマッサージをするという職業であるけれど、そこで感じた思いを述べてみたい。

在宅、施設、病院に訪問しマッサージをする事によってそれぞれの場所で感じる思いは全く違っていた。

まずは、在宅マッサージだが、これは個人の家に直接伺い自分で歩行が難しい患者さんに治療をするのである。

学生の頃には、習う事のなかった難病で苦しみ日常生活で不自由している人がいる事に私は驚異を感じた。

さらに驚きを隠せなかったのは明るく元気に会話をしてくれたからである。

もちろん肉体的のつらさだけではなく、精神的な不安で悲しんでいる心の弱さを教えてくれることもあったけれど、訪問マッサージを受けたいという事で自宅に招いてくれた事の勇気に胸を撃たれた。

いつも手のひらで、筋肉を抑えながら、私はこの人のためにどういう施術をすればよいのだろう。私はどんな言葉をかけてあげればよいのだろうか。という事ばかりを考えながら筋肉をほぐしていた。

そんな気まずさに気付いた患者さんから優しく声をかけてくれ沈黙の空気を和らげてもらった事が何度もある。さりげなく思いやりを教えてもらえた事にこの場を借りて感謝したい。どうもありがとうと。

それから最初は、歩行が無理だったのに、ストレッチ運動や関節運動を繰り返していると徐々に回復し、本人から一人でも大分歩けるようになりましたよ。と言われた時には、とてもうれしかった。

もし私の両親が、同じような病気で苦しんでいるというのを想像してみたら、思わず目から透明な液体が流れ落ちそうになった。

この仕事に、魅力を感じだしたのもこれがきっかけだったのである。

施設でも、在宅マッサージと同じ事をするわけだが。ここでは施設の従業員とのコミュニケーションが大切になるんだと感じた。

扉を開き、玄関に入り込むと同時に明るい挨拶が聞こえてきたので私もすぐに返事を返した。

言葉だけの挨拶をかわし、頭を下げる事の出来なかった自分の礼儀作法が足りない軽薄さにちょっぴり悲しく感じた。

ここでは、脳梗塞を患い、腕や足の関節が塊曲がらなくなった重度の病気を持つ患者さんと出会った。

脳にも障害があり、言葉をうまく話す事が難しく声をかけるのに私は、恥ずかしがり最初の一声に随分戸惑った。

けれども、週に3回伺い体をさすって行くうちに自分にも自信が持てるようになり、少しだが言葉をかけてあげる事が出来るようになって行った。

ある日○○さん按摩が終わりましたよ。と私は声をかけた。するとありがとうと返事が返ってきたのである。

その時の喜びは今後二度と忘れる事はないだろう。

病院では、ヘルパーさんが、入浴や理髪に連れて行き、理学療法士、作業療法士の方が、訓練のためにリハビリ室に誘導している時間でもある。

とくに前者は、あわただしい時間でもあるので、病院のスタッフに迷惑をかけないように、注意深く行動をしなければならなかったし、それに入浴が早い人から順にマッサージをしていかなければならなかった。

椅子や車いすに座ってもらった状態で、首や肩の筋肉をほぐし、血液が流れやすいようにするのが目的だけれど、大勢の方が来られているので、三分間という短い時間で、どれくらい施術をしてあげられるかに、悩まされたのが印象的だった。

短い時間での施術にもかかわらず、ありがとう、気持ちよかったよ、と何度も言われると、まるで太鼓の音が心にドンドンと響いてくるように、そんな気持ちを私は感じていた。

このデーサービスには、仕事の都合上週に一度しか行かれないけれど、ものすごく温かいものがもらえた気がした。

なぜなら、マッサージが終わり次の仕事に移動する時も、まだ胸の奥底から込み上げてくるぬくもりが残っていたからだ。

この職業で、必要になるだろうと思われる、大切なものを私はいくつか学んだのである。

第一に、難聴で耳が聞こえにくい方がおられるので、大きな声を出しゆっくりと話をしなければならなかった。

私は、どちらかといえば早口なので、会話をしても聞き手側にうまく伝えられていない部分があった。

落ち着いて話す事により、会話のキャッチボールが、徐々に成立して行ったに違いないと思っている。

第二は、笑顔で相手を和やかにさせる事の大事さだった。

患者さんは病気で気分も沈みがちなので、明るく笑顔で接する事により、相手の顔から笑みがこぼれる事に気付いたからである。

とはいっても、会話の時表情が堅苦しくなる事が、まだあるのでここは改善しなくてはいけないと思う。

そして第三は、最後まで話を聞きそれについてじっくり返事を返してあげる事だった。

普段あまり家から出られないと、人とつながりを持てなく、会話がしたくても出来ずに困っていると教えてもらえたからだ。

患者さんから、さまざまな経験や豊富な知識そして体が思うように動かせない話を聞かせてもらうたびに、勉強になる事ばかりだと私は思った。

所で私は、人が思うほどに、目の見えていない事で、苦しさや辛さのようなものを感じてはいない。

なぜなら盲目になっていなければ、再び学生として何かを学んだり、今の仕事にもめぐりあう可能性もなく、もっと別の道を歩み違った人たちに出会っていたに違いないと思っているからだ。

それにこうして、今の私が、存在するのも目が見えなくなってしまったからだろうとも考える事がある。

今後の目標としては、医療マッサージの技術や知識を極めるだけではなく、人間性の心理にも磨きをかけ、人の将来の役立つ人間になれればよいだろうと考えている。
2013年7月19日

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